天候の激変とスナップエンドウ

元慶応大学教授の磯野先生の「明治前園芸植物渡来年表」によると、エンドウが「園豆」の名で記録に初登場するのは平安末期の1181年頃に編纂された「色葉字類集」。この書物は、いま風に言えば国語辞典。磯野先生は、色んな園芸植物がいつどんな文書に記載されているかを丹念に調べ、年表にとりまとめた。だから、この年表を見ればいつどの書物に記録があるのかがわかる。少なくとも、それ以前に渡来したことは確かだということ。書物上の初出が1181年であっても、中近東原産のエンドウがいつどんなルートで渡来したかは別。
エンドウは、オーストリアの田舎で修道士をしていたメンデルによって有名になったのは知る人ぞ知る話。彼は修道士でありながら、どういうわけか、たくさんのエンドウを栽培し豆の形や株の丈が親から子へ一定の法則で伝わることを発見し、1865年に「遺伝の法則」として発表した。彼の偉いところは交配実験に先立ち、購入したマメを試験栽培して品質の安定したマメだけを使って実験したこと。その後、修道院長に就任し、忙しい仕事のかたわら気象分野の観測や太陽の黒点の観測を続け、亡くなる頃は遺伝の研究者としてよりも気象学者としての評価が高かったというから凄い。
さて、問題はわが家のスナップエンドウです。北アメリカ産といわれるだけに寒さには強い。秋の終わりごろに種まきすると発芽し季節の変化にあわせて茎を伸ばし、真冬でも凍死しないよう体内の糖の濃度を高め、真冬には土中の根と根元の株を守りながら越冬し、春到来とともに成長し花を咲かせるのです。しかし今年は、天候激変に騙され、まったく痛い目にあいました。
植物は根付いた場所で生育し、花を咲かせ実をつけ子孫を残すために、気候の変化を察知し夜の長さを測り、発芽や開花のタイミングを選んで成長する。スナップエンドウも当然そうした習性を備えているが、今年の天候変化だけは読めなかったということ。1月中旬までの暖かさにつられて花を咲かせ、その後の急激な冷え込みで凍結してかなり被害を受けた。これが現在の様子で、元気な株を移植したおかげで何とか面目を保っています。いつも書くようにスナップエンドウは、越冬さえすれば大丈夫。気温上昇とともに成長を始めるはずです。

こちらが1月後半の様子。いまとは比べられないほど株を伸ばし花を咲かせていたのに、このあと最低気温が氷点下の天候が続いたが、天候変化を読めず、種まきをしたのは人間だから、スナップエンドウに、膨大な無駄をさせてしまった。反省!!!

同じマメ科のソラマメ。去年は寒くなる前に成長し過ぎて、その後の寒さで今年のスナップエンドウと同様の目にあったが、今年はいまのところ、天候変化を上手に乗り越えている。

上の写真でもわかりますが、花がたくさん咲いています。

そして、いつものお客様もたくさん。見た目はかわいいのに、これがウイルス性の病気を媒介するので、厄介な御存在。どうやら、マルチシートの効果も限定的な様子。これからは、アブラムシのお宿になりやすい頂芽をつみとる作戦をとります。いつもよりたくさん育てているので、1本の茎に2,3個の莢がなるように考えて、無駄な花と頂芽を摘み取れば、少しはアブラムシの被害を抑制できるのではないかと期待。

3月に入り、プラムの芽がほころび始めているし、そのほかの植物もいよいよ本格的な春を迎える準備に余念がない感じ。シマトネリコの幹は風に吹かれ捩じられて、その力で幹を覆う皮が剥がれてしまった。

春の七草。「セリ、ナズナハコベラゴギョウホトケノザスズナスズシロ」のうちナズナ。いわゆるぺんぺん草です。

ホトケノザ。優雅な姿にふさわしい名前。

ナズナホトケノザとくれば次はこちら。オオイヌノフグリ春の七草にいれて貰えず、しかも名前まで…。

と、しばらく振りの更新にしては、大した中味ではない。記録係としては、先週ジャガイモを植えたということを書いておきます。


  • きょうの一枚 梅の開花

3年前の剪定後初めての盛大な開花。花粉症ながら、この香りだけはわかります。