帝釈天への初詣

あけましておめでとうございます
野菜の栽培記録といいながら、最近は脱線が増えたような気がします。皆様にはこのブログにおつき合い頂き感謝します。もう一度原点に返る必要があるかも知れません。今年もどうぞ、よろしくお願いします。
まず写真の羊の飾りは昨日、帝釈天の門前で買ったもの。毎年初詣の際この店で買います。

暮れの29日の頁の羊は、居間にあるソファーの敷物のムートン。今年の年賀状にその写真を使いました。中国の古典「菜根譚」(洪自誠著)ではありませんが、固い草をはみ顎と歯が丈夫な羊。そしてわが家ではいくら尻に敷かれてもめげないムートン。その我慢強さに思いを込めて……。本当は羊の題材を探していたら、表情の可愛さに気付いて、パチリと撮っただけですがなかなか良かったな、と自画自賛しています!

歩いて帝釈天に初詣するのは何年目か。今年で10年を迎えるこの日記をもとに数えたら8年目でした。田舎の母や親戚、わが子や孫も一応元気で、色々あってもまだ元気で働くことができて、さらに二人揃って初詣に出かけその戯言を書くことができる。何と有難いことでしょう。
ところで、今年がいつもの年と違うのは、暮れに買った重い望遠レンズを背負って歩いたこと。この歳になって、新しくレンズを買うなんて…。そう感じていても何もいわない身内はエライな。夜空に輝く月や星を画像にしてみたい、そうした則物的な欲はいつまでたっても朽ちませんが、それだけではありません。なぜ天を見るか。“Scientific farmer”としては、昔の人々が月や星で農業の先行きを占いながら、作物を作ってきたという想いもあるのです、と書くとちょっと強弁かな。取扱いにまだ慣れませんが、手持ちでもこれくらい撮れるんです。もちろんトリミングしてあります。

こちらは31日の夕日。しばらくすると右側の富士山頂に沈む夕日が撮れるかも知れません。しかしこの電線は、何とかならないものでしょうか…。高圧線を地下埋設となると、膨大な資金がかかるのかも。

ご参考ですが、CANONの光学65倍のコンパクトデジカメが最近発売されたそうです。35mmフィルム換算で21mm-1365mm、価格ドットコムで買えば5万円以下で手に入ります。安くて軽い、しかも性能の高いカメラ。正月早々反省しきり!
前置きはこれくらいで玄関の「九十七才 守一」の三毛猫に送られていよいよ出発!片道11.5キロ。往復23キロの道。

出発が、なぜこの額か。それは自分が97歳マイナス30歳になるという偶然の符号が、どこかで作用したのかもしれません。「守一」は「明治13年、岐阜県恵那郡生まれ」で、東京美術専門学校(現東京芸大)を卒業した後、世俗を離れ独自の暮らしと画風を守った「熊谷守一」です。無心に書かれた草や虫、猫の絵。フアンはいまでも多いようです。ちなみにこの絵は、油絵の「三毛猫」を版画にしたものみたい。「本当の物よりも美しく描けないのなら絵なんて描くことはない」。そんな「守一」のことは、画廊経営をされた向井加寿枝さんという方の本に詳しく、絵が好きな方なら一読すると色んな発見があるかも知れません。ということで、どうも今回は絵とか写真の話題が多くなりそうな予感がします!

出発して間もなく、こんな看板がありました。「川沿いを走る日本一長いサイクリングロード」だと。そのせいか最近、自転車が多い。

じつは、この川沿いの道はライフラインとして位置づけられており、緊急の際の物資、人命輸送の施設として整備されているのです。ま、あまり利用されないですむことを祈りたい。

堤防からの1枚はいつもの富士山。この山が噴火したらどうなるか。風向きによれば、噴煙だけでも影響があるかも知れない。富士との間は117キロ余りだというのですから。ライフラインからそんなことを連想してしまいました。

少し先を急ぎますが、ゴールの帝釈天はこんな風に賑わっていました。お賽銭を投げ入れ、家内安全などを願いました。

時計を見ると12時を回っていました。帰りのエネルギーも必要です。そこで老舗の「川甚」名物の鰻重でも食べようかと入ってみました。順番を待つ間に壁にかけられた額に目をやりました。さすが老舗だけあって、有名人の色紙が飾られていました。はじめは松本清張。「わが道は 行方も知れず 霧の中」。第1作の「寅さん」にこの店が登場するのは地元だから当然のような気がしますが、この店が1962年作品「風の視線」の舞台になったということらしい。

これも余談です。だいぶ古い記憶になりますが、能登を旅したときに能登金剛で見かけた松本清張の歌碑を思い出しました。その歌碑には、「雲たれて ひとりたけれる 荒波を かなしと思へり 能登の初旅」とありました。作品を読んでいないのにこういうことを書くのはどうかと思いますが、俳句、短歌についても並み以上のものを備えた方だったということでしょう。

次に、鉄腕アトムで知られる「手塚治虫」。

最後の1枚はこれ。黒澤明名の色紙には、千秋実藤原鎌足志村喬青柳信雄とありました。この店には色んな有名人が訪れたということです。

そんな有名店ですが初詣ということで、少し奮発して、まず熱燗の銚子を1本、それから鰻重を食べて、ひと休みした後、もと来た道を帰途につきました。江戸川には鴨の仲間がたくさん泳いでいました。名前のわかるものを一枚だけ。たしか体が黒くて、嘴の白い特徴から、これはバンではないかと思います。今年は鳥も勉強したい。

一般参賀の御言葉のとおり、とても穏やかな一日。久しぶりに日射しを浴びて、少し日に焼けた気がします。それと日頃の鍛錬不足のせいか、脹脛がはっている。少し鍛えなければならない、と反省の一日でした。



清張で思い出した能登・金沢の旅で08年4月に訪ねた総持寺祖院。由緒によれば総持寺能登が本山だったが、明治に火事で焼けていまは鶴見に建立されています。その後もとの場所に再建されたのが総持寺祖院。写真はその庭の椿です。今年は畑の「玉之浦」もたくさんの蕾をつけています。懐かしさとともに、春が待ち遠しい!