郊外のワーテルローを散策

ブリュッセルで残り一日があるのに市内観光はもう十分だ、ということでこの日は郊外のワーテルローに行くことにしました。
ワーテルローは、日本で言えば戦国時代に終わりを告げた「関ヶ原の戦い」の跡地みたいなところ?ナポレオンと連合軍がここで最後の戦いをしたのは1800年代初頭。この戦いが終り、ヨーロッパに平和が訪れるようにと、オランダのオレンジ公が丘をつくり、その頂上にナポレオン軍の前線方向をにらむライオンの彫像をたてた。しかし第二次大戦まで、ヨーロッパでの戦争は続くが…。
旅の本ではワーテルローに行くには、まず北駅から電車でBLAINE-L'ALLEUD駅下車、同駅前でw365番のバスで4分とある。ホテルで確認すると、BLAINE-L'ALLEUD駅にはシャルルロワ方面の電車で行くが北駅からはほぼ20分毎に電車が出ているという。ホテルの受付であらかじめ時間も調べて貰うなど万全の準備をして就寝。


翌朝、朝食を済ませて駅に向かいホームで電車を待つ。ブリュッセルの夜明けは遅く、8時過ぎてもまだ外は薄暗い。いくら待っても予定の8:35分発の電車は来ない。しかたがないので、次の電車を待つが、今度はホームが違う。そこでホームから駅構内に戻り確認すると、その電車の発着のホームが表示されていない。発車時間が近くなればいずれはっきりするだろうと、画面を見ながら待つが、発車時間になってもはっきりしない。これは我々だけではないようだ。ほかにも電車時間が表示される画面をにらみながら、駅員に確認する姿が見られた。こういうことは、頻繁に起きるのかも知れない。

オランダ語ができないから不便なことは仕方がない。が、列車の行き先の表示がない上に、直前になりホームが変わるだけでなく、同じホームの前後に進行方向の違う電車が止まっている。日本とはずいぶんと事情が違うので、とまどってしまった。
やむなく北駅よりは列車の発車本数の多い南駅に行き、シャルルロワ方面行きの電車が出るホームを探し、そこにいた電車に飛び乗ると、ふたたび北駅に戻ってしまう。今度こそは間違いのない電車に乗ろうとしたら、トイレに行きたくなり乗り遅れる。とこんな具合で、ようやく乗った電車は10:30分頃。わずか20分ほどの移動のために、電車を探して2時間もうろついていたという結果。いま思えば、上野駅と東京駅、品川駅あたりを行ったり来たりしていたということかも知れない。初めて日本にきた外国人もこんなことを体験しているのか?

と、苦労しながらようやく電車に乗ってみて不思議に感じたのは、どの列車も座席が後ろ向きだということ。オランダでもそうだったが、ヨーロッパの電車は進行方向に背中を向けて座るケースが多い?そんなことを思案しているうちに、わずか15分ほどでBLAINE-L'ALLEUD駅に到着です。次の問題はバス路線だが、案の定駅前で探してもそんな路線は見つからない。そこで駅員に筆談でWATERLOO、BUTTE du LIONと書いた紙を見せて聞くと、オランダ語?で、英語はわからない方のようだが怪訝な表情で、「ちょっと待て、隣で聞いてきてやる」と言った感じでいなくなった。
しばらくして帰ってきて、「こちらに来い」という仕草をするので、ついて行くと「バス停はここだ」という仕草をする。見るとA1,B1という路線で、そこには大型のバスを二台つないだ形のバスが止まっていて運転手はいない。しばらくしたら運転手らしき人がどこからか現れたので、再びメモを見せてWATERLOO行きか、と聞くと「そうだ」という表情をする。そこで、チケットがないが?と聞くと、英語で2MINUTEという答。料金を聞いているのに「2分」とはどういうことだ、と考えながら座席で待つと、しばらく時間がたってから別の乗客が料金箱らしきものにコインを投入するのを見て、運転手は「2分待って料金箱に金を入れろ」と言っていたのだということを、あとで知る始末。
バスはようやく走り出して、しばらくすると運転手が「ここだ」と合図するので、降り立つとBUTTE du LIONというバス停。そこから4,5分歩くと「ライオンの丘」が見えてきた。回りはトウモロコシ畑など。大型のトラクターが3台で収穫作業をしており、落ち穂などを食べるためか、白い大型の野鳥が何羽も群がっているのが見えたりする。

また、葉の形は違うが実の形はアブラナ科の特徴を示す黄色い花の咲く植物が一面に広がる畑も。これはたぶん牧草かも知れない。左奥に見えるのが目的地の「ライオンの丘」。

入場料を払ってライオンの丘に登ることにした。高さ約40mで階段数は220段。石段は一人が通行するのが精一杯で、大きな体の外国人とすれ違うのは一苦労しそう。入り口の建物の前には4カ国の国旗が飾られており、階段の入り口には、心臓の悪い方は注意するようにという注意書きがある。頂上に着くと見晴らしがいい。当時のナポレオン軍と連合軍の配置を示すパネルが飾られており、ライオンのにらむ方向には緑の牧草地?が広がっており、当時の歴史を示すのはこの丘だけでした。

丘を降りてパノラマ館を見たあと、BLAINE-L'ALLEUD駅への帰りは歩くことにした。約3キロほどの道はそれほど難しくないし、歩きながらここらの家の庭などを見学しようと考えてのことだったが、結果的にそれは正解だった。日本のハゼの木に似た紅葉やアキグミにそっくりのグミの木、花々が植えられた庭が多く、中には菊や紫陽花も植えられていました。カエデの葉にイガイガの実のなる木が気になるが、これはあとで…。

BLAINE-L'ALLEUD駅に着くと地元の高校生らしき子どもたちの姿が見られた。まだ12時過ぎだというのに、子どもたちが駅にたくさんいるのはどういうわけだろう。それでも屈託のない子どもたちの表情を見てひと安心。この子たちが国の未来を背負うのだから。

ベルギーは英、仏、独、蘭などと国境を接しており、オランダから独立してから180年。ところが、その後もドイツ占領下におかれたり第二次大戦直後はドイツに併合されたりと複雑な歴史をたどっている。各国間の十字路的な地理条件もあってEUの本部やNATOなどの国際機関があつまる国際都市として発展しているとは言え、公用語オランダ語、ドイツ語、フランス語が使われるなど複雑などヨーロッパの縮図とも言えるような社会環境下にある。
こうしたことと直接の関係はないと思うが、どことなく気になるこの国の大人たちの暗い表情。街や公園のあちこちに座り込んだり、酔って眠り込む浮浪者の姿は、隣国のオランダでは見ることのなかったもの。どうも、ベルギーの経済も大変なようだ。が、政治経済の事情もわからないのでこの程度にしたい。

ブリュッセル北駅に戻り、きのう見たグランプラス、それに見落としたレストラン街を散策。「レストラン街の客引きは注意しろ、特に日本語で話しかける店は要注意」などと言った警告を思い浮かべながら、夕方になってヒンヤリとしてきた街を通ってホテルへ到着。ブリュッセルはオランダよりも南にあるが、内陸のせいか気温は低い。
=続く=