Scientific Farmerのオランダ・ベルギー旅行


最近は休みのほとんどを家庭菜園で過ごすのが習慣になっていたScientific Farmer(菜園tific Farmer)ですが、どういうわけか一念発起してオランダ旅行に出かけることになりました。
ここにありますが、今回の飛行機は偶然にも昨年4月に搭乗したヴァージンアトランティックの901便。前回との違いをさがすと(それはたいした意味のないことだが)出発時刻が30分遅いこと、ANAとのシェア運行となっていること、座席が機内中央の席で外の景色がまったく見えなかったこと…です。
写真撮影を楽しむ Farmerにとって座席の位置は大きな問題。なぜ、そういうことになったのか、それはおいおい書くことになるかも知れませんが…。窓際の席の方にお願いしてようやくとったのがこの一枚です。
またScientific Farmerがなぜオランダ旅行なのか?説明すればするほど合点しかねて首をかしげる(*^_^*)と一緒の旅。この点が昨年との最大の相違点でしょう。

成田〜ロンドン間13時間を映画や読書だけでつぶすのはなかなか…。何とかヒースロー空港に現地時間16時に到着。荷物が無事にアムステルダム便に乗り換えたかを確認したりしながら時間をつぶすこと約3時間。7時発のBD便に乗り継ぐため待合室から外をのぞくと小雨。そこには100人ちょっとの定員と思われる小型ジェット機の姿がありました。どうやら、これが乗り継ぎのフライトのようです。

オランダとロンドンは目と鼻の距離。眠りこけている間に、飛行機はアムステルダムスキポール空港に到着。空港で荷物を受け取り地下に降りるとそこはスキポール駅。切符を買って表示のあるエスカレーターを降りると、すぐにアムステルダム中央駅行きの電車のホームという便利さ。この電車でパリまで行けるというのですから。さすが観光国オランダです。

アムステルダム中央駅に着いたはいいものの、問題はホテルへの移動です。市内はバス、トラム(路面電車)が便利だが慣れない土地で夜中にそれらの乗り場をさがすのは大変。そこでタクシーを使うことにして、ホテルに電話するとタクシーはあまりおすすめではないようなニュアンス。
それならこちらも慎重にということで地図をまずタクシーの配車係に示し、そして次に運転手に見せておおまかな料金を確認して乗車。しかしホテルに到着してみるとわずか1キロにしてはやはり少し高めの請求。
ツアーといっても二人だけ。旅行社は飛行機とホテル、大都市間の移動の切符の手配をするだけであとはお好きにといったおまかせ旅行スタイル。(*^_^*)と二人連れということでホテルだけは「スーペリア」コースにしたのに、着いてみればビジネスホテル?に毛の生えた程度。(もちろん、帰国後、ホテル代の上乗せ分は払い戻して貰いました。)
多少がっかりしながらも気を取り直して、寝る前に地図などで明日の日程を確認。今回の役回りは旅行企画・案内兼ポーター・レポーター役だが、果たしてどんな旅になることやら?

<翌日のこと>
10日の朝は小雨。午前中は今回の旅行の目玉のひとつであるアンネの木 The Anne Frank tree と呼ばれるセイヨウトチノキマロニエの木)を見に行くことにしました。
この木は、アンネフランク館の中庭にたっており、一昨年世界的な関心を集め、市当局の伐採計画に対する反対の意見が多く寄せられたため、伐採は取りやめになったといういきさつがある。アンネフランク館は、9時開館だというのでホテルから運河沿いの道を約20分ほどテクテク歩いて行くことにしました。

しばらく進むと旅行者とおぼしき人たちが少しずつ増えて次第に人の流れができてきて、おかげで迷うこともなくアンネ・フランク館に到着することができました。

トチノキはこの建物の中庭です。ところが、入場券を買って館内に入るとロビーに「写真禁止」の張り紙が。そこで受付にいた男性に、「トチノキの写真を撮りたくて日本から来た」という趣旨を話すと、「それならフランク館の事務室からがいい」と、2階の部屋に案内され、そこの窓をあけてくれた。幸運に胸をドキドキさせながら撮ったのが次の2枚の写真。おそらく今回の旅の写真のなかで、自分にとってもっとも貴重な画像になるでしょう。
1枚目の写真は梢端部を撮ったもの。アンネ・フランクは、隠れ家の屋根裏部屋から見えるマロニエトチノキですが、最近のアンネの日記ではマロニエと記されています)について、日記の中で何カ所か触れているが、「木々が新緑に萌え、紺碧の空からは、太陽がわたしたちをさわやかな戸外へといざなうとき。…」と自由な生活への憧れの気持ちを述べています。
彼女が60数年前に見たマロニエの梢は、あとで述べるように樹木の幹にかかる重量の負担を軽くするため、最近切りとられています。したがって、アンネがかつて眺めた梢ももう失われているのかも知れません。
2枚目の写真は幹の部分。このトチノキは樹齢170年、樹高20mとされています。遠くからぼんやりとしか見えませんが直径は1mを越えているように見えました。トチノキの寿命としては、170年はそれほどの老木ということではありません。アムステルダム市が公表している油漏れによる土壌汚染がなければどうだったのか。あくまでも推測ですが、それがなければ樹勢が弱ってキノコにおかされるといったことはなかったかも知れません。

ブナらしき樹木の枝が視界を遮っているのでよくはわかりませんが、確かに支柱が添えられたトチノキがたっていました。梢の写真や幹の写真を何枚か撮らせて頂いたあとで話を伺うと「幹に大きなキノコが出たりして内部の腐れが確認された。そのまま放置すると木が倒れた場合危険だと判断し、土地の所有者の要請で伐採の決定をしたが、世界各国からたくさんの反対意見が寄せられたため伐採は見合わせとなった。現在は経過を観察しているところだ」ということでした。
前にも書いたように、アンネは日記に、「隠れ家生活の中でふれあうことのできる唯一の自然であり、その姿は私を励ましてくれた」といった趣旨も書いており、そうした歴史のある大切な木を弱ってきたからという理由だけで伐採するのは反対だという意見が多く寄せられたということ。
余談ですが、彼女の日記はオランダ語で書かれており、これがドイツ語に翻訳され仏語版、英語版と翻訳されます。日本で発売されたものは英語版をもとに、20年ほど前に文芸春秋から出版される過程で、chestnut=栗と翻訳されたが、実際はhorse chestnut=セイヨウトチノキが正しいことはアンネフランク財団のHPを見ても明白。たしかに目の前の樹木の葉は枯れて赤色になっていたが、まさにトチノキの特徴を示していました。
そのあと、たくさんの見学者が押し寄せているアンネフランクの隠れ家内を見学。数年前に出版された本は読んでいたが、本で読むのと現地で現物を見るのは大違いであった。秘密警察に逮捕され、監禁中に病死した娘への悲しみを乗り越えて、彼女の日記を世に送り出した父オットーフランクがアンネの背丈の成長を刻み込んだ柱の横にたたずむ写真はとても印象的。
次に花の国オランダらしい見学地として選んだシーゲルの花の市、ゴッホ美術館を見学、国立美術館と有名なコンセルトへボーは外観だけを写真撮影して、水の街アムステルダムの運河を水上バスで1時間あまりで巡るコースは、とても良かったと評価して貰いました。


途中ですが、インターネットが日本ほど円滑でないため、残りは後日ということで。これまでのところをアップします。
=続く=