木曽路は雨の中

24日から仕事で木曽・上松に出かけてきました。行楽シーズンは電車が混雑しやすいので、自分の車を使用。都心の渋滞を避けるため早めに出発することにして、床についたら目覚めはちゃんと5時前。これは年の功?です。
さっさと準備して5時過ぎに自宅を出発。外は雨、しかも真っ暗ですがスムーズに都心を抜けて中央道に乗ることができました。時折雨足が強くなる中、談合坂のドライブインに到着。ここで朝食を食べて30分ほど休んでふたたび出発する頃には東の空がようやく明るくなってきました。

天気がいいと、中央道沿線には八ヶ岳南アルプスが見えたりして眺めを楽しめるのですが、この日は雨の中をひたすら走るだけ。塩尻で高速道を降りていよいよ木曽路に入ります。

かつての旅人たちは、江戸・日本橋を出て熊谷、高崎、松井田から軽井沢へ抜け浅間を北に見ながら南下して和田峠を越え下諏訪に出て、塩尻峠から塩尻、洗馬、本山を過ぎると、ようやく木曽路の最北端に当たる贄川宿に着いたというわけです。日本橋から塩尻までどのくらいかかったのでしょうか。そうしたことを思うと、つくづく現代に生まれてよかったなと感じます。でも、どちらが味わい深かったかは、いうまでもありません。
中山道(なかせんどう)のうち、木曽路と呼ばれるのは贄川宿から馬込宿までの11宿。「木曽路はすべて山の中である」は、島崎藤村の小説「夜明け前」の書き出しですが、いま走る国道19号線はよく整備されていて、「一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」という当時の面影を想像するのは難しい。


木曽路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。(島崎藤村 「夜明け前」第1部より抜粋)


しかし「木曽路名所図会」にも「谷中せまきゆへ、田畑まれにして村里少し。米、大豆は松本より買来る。…」とあるようですから、街道はよほど山深い所を通っていたのでしょう。
目的地の木曽・上松への到着は11時前。約290キロの道のりを途中の食事・休憩の時間を差し引いて4時間半ですから、順調な行程でした。上松は古くからの木材の集散地で、いまでも木曽ヒノキをはじめとする木材の加工・流通が盛んに行われています。挽きたての木曽ヒノキの柱材や板材を間近に見るのは久しぶり。部屋中に濃厚なヒノキの香りが漂っていて、まるで香り高いコーヒーと豪華なケーキを出されたような贅沢な気分になりました。
ヒノキの香りでこんなことを連想しているようではいけませんね。いま世界各国で日本食ブームですから、いずれ木曽ヒノキも世界の愛好家に愛される時代がくるかも知れません。そのためには木曽ヒノキの香り成分が人間の五感に与えるプラスの影響がどうだとか、木材は地球温暖化ガスである二酸化炭素の化合物で構成されており住宅や家具に上手に使うことで地球環境保全にも役にたつんだ、とか、もう少しScientific なことを考えなければと思うのですが…。それにしてもホントにいい香りで、そんなことはしばらく忘れてしまいました。

午後の会議の前にお昼を食べようと上松から車で10分足らずのところにある蕎麦屋さん「玄」にご案内頂き手打ちそばをご馳走になりました。さすが、開田高原の自家栽培のそば粉を石臼で自家製粉したというだけにとても美味でした。

会議を終えて、夕食まで少し時間があったので、上松から17キロほどのところにある赤沢自然休養林を見学しました。ここは、かつては木曽ヒノキの伐採が行われたところですが、いまでは道路や森林浴のコースなどが整備され週末は賑わうようです。この日は雨降りの平日、しかも時間が遅かったためか静か。いまを盛りの紅葉が雨の日独特の美しさを見せていました。

明日に続きます…。

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